19/08/06
プレ11日目
プレ11日目てなんやねんと思いつつ(当時は頭がバグっていたのでそんなこと思わなかったはず)長万部を出て函館を目指す日についてである。
ちんたら更新しているので気づいたら前のプレも一年以上前になってしまった。実家に帰ったら多分また更新しなくなるのでこの数日間が勝負。四国プレを書ききって釧路の話を書きたい。
長万部から函館は90kmくらいあったため僕らはガチらんと今日中に着かんとなって珍しく朝早く起きて漕いだ。朝飯何食ったっけ?
八雲までほとんど何もなかった(本当に何もない)ためトップを任された僕は調子に乗って30kmくらいノンストップで漕ぎ、全員が暑さもあっておかしくなってしまった。
八雲のツルハドラッグで休憩し、
しんやは昨日の傷を塞ぐなんかを買いにいっており個人的な出費が異常に高く、エンゲル係数高杉状態から一人脱却していた。
八雲の時点でまだ10時くらいだったので次の街を目指して走った。森町の道の駅で昼飯を食おうやとなった。この辺りまで来ると室蘭ナンバーではなく函館ナンバーが増えてきた。
ひかけが高校野球をスピーカーで流していたが離れていたのであんま聞こえなかった。今思うと盛岡までスピーカーなしでいったの謎すぎる。
お腹もいっぱいになり、なんだかなあとなった僕らは昼寝をすることになった。道の駅でそれなりに見ることろもあったと思うが、ベンチやマットを広げ各々に寝た。甲子園を聞きつつ日陰に避難し、寝た。蚊もそんなにいなかったような気がする。しんやはシャドバしていたかもしれない。
5号線は路肩が狭かったが道に迷う心配もなく走りやすかった。夕方に山を越え、ひ打順やの道の駅についた。営業時間外だったので特に中には入らず、風呂に行った。
函館の直前、七飯町のこの風呂は非常に居心地が良く、かなり長い時間居座ってしまった。
函館まであと数キロ、街並みも都会になってきた。小樽からずっと市がなかったので久しぶりの都会にテンションが上がりきってしまった。
みんなそれぞれの牛丼特盛を頼み、サイドメニューを頼んでいるやつもいた。
風呂に入っていたためその辺の公園で寝た。いよいよ明日が最終日
19/08/05
プレ10日目
朝起きると霧が立ちこめていた。天気悪いんかーと思ったが二度寝すると晴れていた。北海道の天気は変わりやすいのかな。
この日のトピックとしては、出発してすぐ起きた。
出発してすぐ虫を避けようとしたしんやが落車した。路肩が狭い上に雑草が迫ってきてクラッシュしたそうだ。50期落車王はずっと僕だったがしんやのこの怪我はかなりひどく、函館でも怪我のダメージを引きずっていた。後に秋田でも落車する。合宿運ねえなあ
ルスツからとにかく南へ向かう日だった。洞爺湖の周りは走りやすかったがセコマぐらいしか文化的施設がなかった。澄んだ湖は綺麗だったのに爆音で音楽を流しあっけなく通過した。
この道の駅で昼ごはんを食べるのではなく何キロ先かの食堂を目指した。
しんやはこけたダメージで脳がいっており、榊原が自分のサングラスをかけているのに店の中に探しにいっていた。大爆笑してたのに全く気づかなかった。しんやをいじる風潮はこの日らへんから始まった。
何町か覚えていないが苫小牧から来ていた一回生三人にこの辺で抜かれた。(らしい)
一回生はこの辺のどっかから輪行していた。ねぶたに興味のない僕らはミーハーな祭りを見るのはダセェみたいなことをぬかしていたが、道内でやりたいことがあったかと言われればそんなこともない。
しんやは怪我をしていたが、この頃は児相にこだわりニキだったひかけと僕は自走を決断した。僕たちが決めてしまえば二人がいうのなら仕方ないとついて来てくれるのが彼らである。彼らはどう感じているか分からないが、僕らがかなり無謀なことを言ってもついて来てくれるのでおかげでやりたい放題である。
なんとか日があるうちに長万部に到着した。久しぶりのコンビニはセコマではなくセブイレだったが、文句も言ってられないので入った。長万部はとんでもなく都会かと勝手に思っていたが、なんの変哲もない田舎町だった。特急は止まるし、あの東京理科大がキャンパスを持ってるのに。調べてみたら人口は5000人くらいだった。よく考えたら小樽から函館の手前まで一個も市がない。理科大の人はどこへ行って遊ぶのだろう。
風呂は街の小さな銭湯だったが、貸切だったのでかなり暴れ、ランドリーを回し、アイスを食べると見せかけて椅子を一生陣取っていた。
真っ暗なテン場に行く途中まろが消えるなど(しんやだっけ?)あったが無事に1日を終えた。
19/08/04
プレ9日目
最近北海道行きたいなあと思うこの頃ですが今週はこんなお便りが届いています
兵庫県ラジオネーム
ラジオネームなんかいいのありますか
先週の霜降りANN0でラジオネーム神奈川県 ってのがあった気がします。神回
霜降り明星のオールナイトニッポン0(ZERO) | ラジオ関西 | 2020/08/14/金 27:00-29:00 http://radiko.jp/share/?sid=CRK&t=20200815030000
プレ9日目
メロンと宇宙の街余市から出発するこの日は前夜から同業者が居た。少し話したが京都の某私大で僕らの人数より多くライトをこっちにむけてくるなど認められないわぁ的な行動を繰り返していた。
だがそんなことは翌朝忘れ、道の駅にあった顔ハメパネルに下の顔をハメるなど頭がバグり尽くしていた。おかげで余市町の写真がそこの一枚くらいしかない。あとしんやが引き延ばされてる写真とか。
まろが峠越えで疲れてクロックスを茂みの中に飛ばした話はあまりにも有名である。後の奇行もなかなかインパクトはあるが、やはり合宿は人を壊すことが証明されてしまった。
まろのことばかり言っているが激固サドルに臀部がやられた僕もこの茂み付近でブッパした事も正直に語る必要がある。確かR5のトンネル入り口付近だったが車の流れも早く(交通量は多めだった)次の文化的な施設までは10km近くあったため苦渋(苦汁)のけつ断となった。詳細は伏せるがこの事の前後では人生観が大きく変わったように思われる。リスクを恐れて行動しないより、欲望には素直になれという教訓を得た。どんなスプーンにも哲学はある。
皆はまろに夢中だったのもあってこの話はあまりしないでいてくれている。ほんとあざす。
山を抜けセコマでいつぶりかの先輩方と邂逅を果たし、気づいたら先に出発して行ってしまった。ねぶたのためにより近いニセコルートで向かうらしい。今度はニセコも行きたいな。
倶知安町という初見殺し読みの街はお祭りが開催されており、人が札幌並みに多かった。また札幌ー函館間は一つも市が無いがその中でも倶知安は栄えている方だった。
3時でもやっていたラーメン屋を見つけ食べた。昼飯3時てなんやねんとは思うがきのこ帝国?みたいな所にも寄り道したしなんの疑問も持たなかった。
倶知安では晴天に恵まれ、羊蹄山を拝めた。先日富士山をほとんど拝めなかったのでサイク山運はこの時に使い果たしたのではないかと思うくらい雲ひとつない晴天だった。
全然車が通らない一直線の道路で爆音で音楽を流したり、五人で並走したり、ひかけが御堂筋君になったり、とにかく京極町からルスツまでの道は思い出に残った。思い出ファースト。
ルスツの公園で適当にグダグダし、やや遠い風呂に行き、セコマが遠かったのでローソンで飯を食った。昼間とは気温差があった。翌日朝にもビッグイベントが起こるがそんなこともつゆ知らず、車中泊の妨害になるほど騒いで寝た。
19/08/02、03
プレ7日目、8日目
7日目は一日札幌で過ごすこととなった。
写真も少なく何をしたかあまり覚えていないが、ポケモンセンターに行ったりラーメンを食べたり、札幌ドームで日×ソ戦を見た。サッポロビールが非常に安かった。
みんなはススキノの快活に向かったが、僕は次の日に高校の友人と遊ぶ予定があったため一人で札幌に向かった。
プレで別行動的なことをしたことについて今でも少し後悔しているが、久しぶりに高校の友達と遊べたので(回転寿司トリトンで金をめちゃくちゃ使うなど)それなりに楽しんだ。
3日の夜に札幌を後にし余市町で4人と合流した。
ハイキングウォーキングを見たり、珍萬クロスをしたり、組体操をしたり楽しそうだった。
気づいたら家を出て一週間も経っており、足にできた怪しい腫瘍が大きくなっていた。(写真はグロいので割愛)
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先日横浜から浜松まで強行日程で行ってきた。
神奈川県はあまり縁がないところで面白い発見が沢山あった。
これで稚内〜郡山、横浜〜姫路、岡山〜鹿児島と繋がった。
だが、箱根を越えている時に日本縦断にムキになっていることが突然馬鹿馬鹿しくなってしまった。
最短でいかに素早く移動するかばかり考えるのではなく、もっと景色を楽しんだり、贈り物で一喜一憂したり、意味もなく休憩したり、変な所で写真をとったり、コンビニでトミカを奢らせたりしたい。
近い内に泊まりで淡路にでも行きたい。暑くて寝れないことすら懐かしい。
20200814
19/08/01
プレ6日目
今日中に意地でもひかけと舞鶴から来る輩たちと合流したかったので120km強行ルートとなった。
稚内の時点で日付感覚を失っており気づいたら集合日だったにも関わらず、一人道央でシール集めに勤しんでいた。
雨竜町の道の駅で話しかけられたおじさんに今日は雨がどっと降るから気をつけろと言われたが、家を出て1週間経っていた僕はトガりにトガっておりそんなわけねだろと突っ込んでいた。今晴れとるし。
iPhone純正の天気予報はアメリカ人がサイコロを転がして決めているで有名だが、今回ばかりはサイコロが当たったようで大雨となった。石狩川の対岸を走っていたらしいひかけも被害を受けたようだ。
その前に滝川で訪れたあの名店について
やっぱり根が影の者であるがゆえ、一人でデカ盛りを食べるわけもなくなんの変哲もないモーニングをいただいた。安かった。名古屋にいた時によく行った店を思い出したがゆで卵はついてこなかった。
北海道の地図が頭に入っている人なら分かってもらえると思うが妹背牛町から滝川まで20kmくらいしかない。この時点で11時だったのでこりゃあ大変だとなった。お金もないし輪行することは避けたかったので昼ごはんはセコマで済まして全力で漕ぐことにした。
そこで雨である。ここまで運良く雨を切り抜けてきたがここでは避けられず、郵便局に避難した。砂川の小さい郵便局だった。
空知太簡易郵便局というところでタオルとメロンゼリーとセコマのパスタと切手シートを貰った。
おばちゃん軍団から色々な話を聴いた。ジンギスカンのバーベキュー的なことを明日するはずだったのにねえとか、札幌の高校に行った娘が下宿先で変な男と住んでるかもしれんとかいう話だった。おばちゃんたちが面白かったので雨が止んでもしばらく話してしまった。酒なしに歳上の大人と話すのは久しぶりだった。
郵便局を後にして現実に戻ると砂川から札幌まで80kmある。やれやれ、と僕は思った。
12号線特有の排水溝の段差などに苦しみつつなんとかおスパの営業時間内に札幌に到着、翌日の行程上、札幌駅にチャリを泊めて小樽まで電車に乗った。
全員集合したが僕だけチャリを札幌においていたので走ってみんなでなか卯に行った。フェリー組は早速平田君とかいうオモチャを獲得しており、榊原はやはりエピソードトークに自信ニキだと感じた。
おスパの休憩室はおっさんに占拠されていたので外寝をキメた。ワンマン運転のセコマでフェリー組がポイントカードを作り、なぜかまろだけ酒を買っていた。
ソロプレはここまで、ここから先は語り尽くされた合流後
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こんなアホみたいな世の中の現状(医療関係の人悪くない)を考えると、普段感情の振れ幅が小さい僕でもだんだんと嫌になってくる。去年のプレのことを考えると尚更。皆が合宿の事だけを考えて合宿最優先だった今までの夏と違うことにやるせない怒りも湧いてくる。
なんとかしてくれ。僕たちの鐘はいつ鳴るのだろう?
いやほんとに。
今年は全員で集まってできないんだったら本合宿の意味が薄れると思う。みんなに予定開けてもらってるからどうすることもできないし決まったことは決まったことだけど一回生の勧誘もままならないこの状況でするのは本当に合宿なのか。プレの延長でもない合宿でもない中途半端なものになってしまいそうな気がしてならない。
この状況の中で合宿をすることの最大の不安要素は来年以降のサークルに傷がつくことで、こういう時に限って何かやらかしてしまいそうだ。実際に親御さんの考え方や個人の考えもあるし、今年に限っては来れない人たちのことを考える必要もある気がする。
来年夏どうなるか分からないけれど中途半端なこの夏では引退したくない。春合宿の後半からまともな仕事が何も出来てないし、1,2,3回生で今夏以降のことを考える新しいサイクにしていく必要があると思う。
さて今年はどうしよう、どうなるのだろうと言っていたらもうこんな時期になってしまった。
本当にどうしよう。決める側がこんなに迷っていてどうするのか。
19/07/31
プレ5日目
旭川から明日までに札幌か小樽に着こうやという日だったので一人で自由に過ごした。
旭川駅のイオンは駅前というより駅がイオンという感じだった。おきまりのガチャガチャがあると聞いていたが完全に忘れていた。また行く理由にしたい。
地方都市あるあるでイオンに商店街が食われるのは良くあるが、それなりに商店街は盛り上がっていた。何も買ってないけどね。
天気の子を見たが過密日程により感性が死んでおり、何を感じたかは覚えていない。
イオンを出てとりあえず神居古潭の方へ向かった。途中でおやつという言い訳をしてすき家に行き、7月最後の高森を楽しんだ。
12号線を深川方面に行くと突然田舎になった。途中で自転車歩行者専用道路になっており、快適に走ることが出来た。
旭川市から出られず、気づいたら夕方だった。明日の夜には130km先の小樽か最低でも札幌にいなければならない。でもこの時は何というかあまり細かいことは考えておらず、夕日きれーとなっていた。一人って何でもありすぎる。
神居古潭を抜けて道を間違え、適当に走った。次のセコマで休も〜とか何とか言いながら多分20kmくらい走った。気づいたら妹背牛町という標識を見つけ、12号線から完全に外れていることが分かった。やれやれと僕は思った。
ちょうどいい感じの風呂があったので風呂でかなりダラダラした。テレビで日ハムの中継をしていたが、ボロ負けしており酔っ払いのおっちゃんしか見ていなかった。
適当にセコマ飯を食べ、テン場を探すのも面倒だったので風呂の駐車場で寝た。
変化がなさすぎて、もう7月かよと何回いえば良いのか分からない。上半期返せよ〜
合宿のありがたみをひしひしと感じている。誰かたんろん行きませんか。
19/07/30
プレ4日目
今日はオホーツク海を北に進み、宗谷岬を経て稚内へという今回のプレの見どころである。
今回の旅で使った18きっぷを携帯のケースに挟んでいたのでここ二、三日の写真はどこか暗い。道北の荒涼とした雰囲気に実に合っている。
稚内へ向かうための道のりはかなり長くいつもみたいに夜になってしまうと完全にアウトだったのでかなり朝早く出発した。紋別へ向かうらしい衣さんと別れ浜頓別町を後にした。
宗谷岬までの道のりには猿払村という村があった。ここにはエサヌカ線という有名な直線道路がある。残念ながら空は雲に支配されておりあまり遠くまでは見渡せなかったが、この道を通過する間何曲もかかったので多分それなりの距離があったはずである。
道の駅に寄ったりセコマによったりなどしつつ遂に稚内市に入った。今日写真多いね
時系列もめちゃくちゃだがなんやかんやで宗谷岬に着いた。
樺太は見えなかったが右側に海、左に宗谷丘陵だったのが急に角度が変わってはいゴールといった感じだった。
バス停で駅ノートを書いたり、展望台で遊んだり、最北端食堂に行ったりした。最北端食堂はなんとも雰囲気のある所で地元の第一次産業ニキたちの溜まり場になっていた。地元の方々のコミニュティにのこのこと入って行くのはなんとも気が引ける。楽しいけど。
宗谷岬を後にして稚内の街へ行こうとなったが如何せん遠かった。具体的には覚えていないが30kmくらいあった。何よりも風が強く風速は11mと表示があった。千葉マリンなら日常茶飯事ではあるが、僕たちは今江でも福浦でも唐津でもないし、チャリに乗っている。ちょうど向かい風で僕はロードだったのでトップをしていたのだが気づくとひかけがいなくなっていた。待つことも考えたが、おなかがすいて死にそうです状態だったし、だいたいこれはあくまでもソロプレだ、と自分に言い訳をし完全に置いていってしまった。すまない。
結局一人で南稚内のすき家に行き、入店して席に着く前にチー牛大盛を頼んだ。
ただ、稚内でしたことはあまり覚えていない。ミスドに行ったり、セコマに行ったり、ステッカーを買ったことには買った。だが印象に残っているのはひかけと気づいたら別行動になっていたことである。その時はそうあることが当然であるように思えたが、今思うとどうしてどこか適当な所で待たなかったのだろう。日程的にここから自走で青森まで行くのは間に合わないため、二人とも旭川まで輪行する事を決めていた。ひかけの方が早い電車に乗ることになっていたので僕だけが急いでも仕方ないのに、僕の頭は完全にチー牛でいっぱいだった。
あと二日で札幌に行かないといけない。書いているだけでも、もうヘトヘトである。今年の夏はどうなってしまうのだろう。