19/07/29
プレ3日目
今日は諸々の事情で浜頓別町に向かうことになった。読めない。アイヌ語Ⅰ誰か開講してくれ。
名寄から浜頓別町は108kmあり、前日の輪行により疲れまくっていた僕は行けるわけねーだろと自分にツッコみを入れつつ、名寄駅まで戻り輪行をかました。
おはよう名寄号などあるわけなく爆音の普通電車で音威子府まで輪行した。車内がうるさ過ぎて、全く眠れなかった。合宿中ってアドレナリンとかは置いといて疲労と睡眠時間が見合ってなさすぎるよね。
音威子府は駅の近くに道の駅とセコマがあったので朝食はそこで食べた。
なんでも音威子府村は人口495人で道内で最少人口の自治体らしい。確かに寂れていたがセコマがあるため何一つ不自由なかった。
こんな地方道にも北海道特有の道路の端はここだよポールがある。冬に北海道に行きたい。50期は北海道大好き芸人なので僕らの卒業旅行は多分北海道だろう。
中央国道にはチャリダーがたくさんいたが、この道には一人もいなかった。車はそれなりに通ったが50kmの道のりで見た数で言えば牛の方がよっぽど多かった。
途中の中頓別町で昼飯を食べた。おばちゃんが一人で切り盛りしている食堂でなかなか味があった。おばちゃんの耳が遠すぎてなかなかオーダーが通らず、真面目にキレそうになった。
昼飯後にはひかけがもう浜頓別町に着いているということであった。いつの間にか、抜かれている。
単調な道だが非常に走りやすかったので、日が落ちる前に浜頓別に着いた。ひかけと衣さんが風呂にいるということだったので向かった。正直衣さんとはほぼ話したことがなかったがよくしていただいた。
とても綺麗な道の駅だった。道東の紋別方面から稚内への中間あたりらしくそれなりに街に賑わいがあった。
セコマで夕飯を揃え、車中泊のおっちゃんに色々もらい、腹一杯で寝た。見たことも無い種類のアブに咬まれた。死ぬほど風が強かった。
19/07/28
二日目
どうでもいいが7月28日は元中日の森野将彦選手の誕生日だった気がする。
札幌を脱出してとりあえず旭川方面に向かう事にした。朝ごはんは噂のセイコーマート100円パスタにした。このパスタ、うますぎる。正確には100なんたら円なのだがそんなことはどうでも良くなるくらいのクオリティだった。これから何個もセコマはあるはずなのに一個食べてからもう一個買って札幌を出た。
札幌のマックスバリュで(モエレ店?変な名前だった)Tシャツにツッコミを入れられた。関学出身の人だったがおじいちゃんはもごもごしていてちょっと何言ってるんか分かりません状態だった。部室棟の内の位置まで書いてある今年の団Tだがよく見ると微妙に住所が違うらしい。
江別に入ったところでサイコンの紐が切れた。皮肉にも江別市まで40000kmと書かれた看板の目の前で不吉な予感がした。
不吉な予感はあたり、この後蜂に刺された。本当はもっとこの部分をもっと引き伸ばして書くべきなのだと思うが、本当に一瞬の出来事でただ蜂に刺されただけなのだ。近所の(豊幌というところだった)セコマで薬局か医者はないか聞いたところ岩見沢に出ないとないということだった。親切な事に氷をいただき、岩見沢へは電車で向かった。
岩見沢についた頃には氷が効いたのか腫れてはいたが痛みは引いていた。お金も勿体無いので昼ごはんを食べた。多分マクドに行った。
この日の道央地方はとにかく暑かった。30度近くあり、蜂に刺された事で頭が変になっていた僕は今日輪行しまくる事を決意した。とにかく進めるところまで行ってめんどくさくなったら電車に乗ろうと思った。岩見沢から豊幌に戻り、そこからひたすら国道12号を旭川方面へ向かった。
深川あたりで疲れがどっときたため、輪行を決意した。旭川行きは1時間に2本くらいあったが暑過ぎて冷房なしのホームで30分も待ちたくなかったためスピード適当輪行をかました。急いで電車に乗ろうとするとめちゃくちゃ人が降りて来たため僕の自転車はうまい具合に電車に収まった。深川で花火大会があるらしい。
旭川に着くとお腹が空いたので松屋に行った。また松屋。買い物公園通というのが旭川の一大繁華街らしく、自転車に乗って通行していたらおまわりさんに笛を吹いて止められた。僕の格好を見てなのかそうする決まりなのかは不明だが学生証の提示を求められ、住所まで聞かれた。北海道は治安がいいってこういう事なのか。
その後ミスドで一息つき、風呂に行こうと思った。旭川でオススメの銭湯を調べると、あのスタルヒンが通ったとされる銭湯が見つかった。スタルヒン球場のスタルヒンである。写真は撮るのを忘れたが確かに歴史を感じる外観だった。8条にあるこの銭湯に僕はかなり多くの忘れ物をした。服一日分一式、モバイルバッテリー、正露丸、ボールペン、携帯工具など、あげだしたらキリがない。どっかいったと思ったものは、だいたいここに忘れてきた事にしている。にしても多すぎる。
18切符は一日2000円以上乗らないと損だという事なので旭川からさらに北に輪行することを決意した。宗谷本線は名寄までいける電車があったのでそれで輪行する事にした。
なかなかの難読地名揃いだった。田舎だな〜真っ暗やな〜と思っていたらなんら街明かりの見える事なく名寄で降ろされた。駅周辺はかろうじて人間の活動が感じられたが、逆に寝られそうなところがなかった。勘弁してくれよとなりながら少し北に走り、名寄川緑地というところまで行った。偶然にも先客がおり、少し身の上話などをしお互いは危険人物でないことを確認し、距離をとって寝た。これまた偶然だが、去年重政さんとひかけがてんばにしたのもここだったようだ。
19/07/27
北海道・東北夏合宿プレ1日目
(この場を借りて前回のばかでか文字ブログのお詫びを申し上げます。フォントの設定をいきっていじったら戻し方が分からなかった次第です。)
最近ブログを更新していなかった。普段何かあれば、というか何もなくても外に出まくる僕にとってこのおうち時間とかいう馬鹿馬鹿しい期間は苦痛でしかない。お陰で自炊をするしかないのだが、皮肉なことにすき家とか松屋に通い詰めていたあの頃の方がお金がかかっていなかった気がする。ちゃんとした料理にはちゃんと金がかかる。本当の貧困層というのはサンディで訳の分からない肉や魚を買っている老人らではなく、吉野家すき家松屋を無限ループし店員の顔と名前を覚えているやつらなのかもしれない。
なぜこんなに牛丼屋について書いたか分からないがここからが本編。
今回は北海道から青森を目指そうとなっていたため、飛行機を安く済ませたい僕は5月くらいからプレの計画を立てていた。僕は根室に行きたかったが紆余曲折を繰り返してみんなとのプレもしたいということで王道の稚内から南下プレに決まった。
なにはともあれ先ずは飛行機に間に合わなければならない。夕方の飛行機やし関空まで児相やろ^とか抜かしていたが雨予報と寝坊であえなく輪行することになった。
今からLCCに乗るのに関空までのJRの座席が絶妙に狭くすでにLCCやんと言いたかった。
関空には初めて降り立った。
駅を出てからLCCであるピーチ航空が発着する第二ターミナルまではものすごく遠かった。ドーム前矢田からパノラマBに入るためのゲートくらいまでの距離があった。朝からなにも食べていなかったのでもう限界ですぅ〜となっていた。
適当にローソンで昼食を済ませ登場開始を待った。その時、飛行機の中は携帯が使えないことを思い出した僕は本屋で朝井リョウの世にも奇妙な夢物語を買って読んだ。面白かったが旅にでる前に読む本か?と自問自答した。この本は後に旭川の銭湯に置いていかれる。
離陸後すぐに寝てしまったので目を覚ますとすぐに新千歳だった。あまりにも唐突なワープで旅感がまるでない。
LCCの悪口ばかり書いてしまったが、僕たちの様な学生を手軽に遠くまで運んでくれる、お財布に優しすぎる会社には感謝したい。
そんなこんなで北海道に上陸できた。
雨だし今日は適当に輪行してネカフェだなもと思っていたが札幌は全く雨が降っていなかった。心が完全にネカフェを求めていたので夕暮れの中新千歳から札幌まで完全輪行をキメた。
札幌に着いて輪行解除をしているとロシア人二人に絡まれた。普通になまらと言っていて驚いた。僕が後輪のクイックリリースをくるくる回すだけで彼らは盛り上がっており、やばいのに絡まれた、ひょっとして地元では有名な絡んだらいかんタイプの人なんかとすら思った。彼らは僕を質問攻めし、地元が三重だというとなぜか盛り上がった。世界の伊勢神宮ダヨネ的なことを抜かしていた。しかし行き先を聞かれ、稚内まで行くよと言ったがあまり反応がよろしくなく、過去になんかあったんかなと思った。僕が稚内と答えたことにより会話は唐突に弾まなくなり、輪行解除もちょうど終わり駅を後にした。まじでなんだったんだ。
特にやることを思いつけなかったのでとりあえすセイコーマートに行ってポイントカードを作った。僕はミスドで使えるdポイントとRポイント至上主義者なので、なんでこんなわけわからんポイントカード作らないかんのやと思っていた。だがこれからの日程でセイコーマートしかない街がいくつもあることは分かっていた。ポイントカードありますかと聞かれて持ってないですと答えなければならない屈辱に比べればこの時の手間なんてたかが知れたものだった。
その後(その前だったかもしれない)ひかけが札幌駅にいるということだったので一瞬合流し写真を撮った。今回のプレはソロの部分を増やそうということだったので10分くらいで解散した。彼によるともう日が暮れているというのに今から特急列車に乗って札幌を出てどこかへ行くらしい。僕はそんなお財布破壊旅程は到底できっこねえので、などと思った。18切符を酷使したり、荷物を全く送らずいつでも本合宿できるマンな自分を哀れんだ。
札駅の快活は満員だったかなんかで僕は自転車を駅の駐輪場に停め(屋内駐輪場だったが西宮のドンキみたいな荒廃感はなかった)すすきのへと向かった。一人でラーメンを食べる気にもなれず、松乃家で安くけれどお腹いっぱいになりこの日は終わった。
オンライン授業の課題ばっかしてると堅い文しか書けなくなりそうなので、このブログでなんとかしたい。
19/04/02
四日目 最終日
沼津駅のまねきねこで寝袋を敷いて寝ていたが5時の閉店と共に起きざるを得なかったためここまでの中で最悪の目覚めだった。この時は頭が壊れていたので桑名に帰るはずだったのに反対に進む東海道線に乗り東京で遊ぼうとなった。頭が壊れている。
沼津から東京までは100キロ以上あるが直通の電車があった。しかも栃木くらいまでいくとのことで、東京ってこええとなった。
沼津駅の無料駐車場にオルトリーブがついたままのチャリを停め東京へ向かった。電車に乗ってから気づいたが静岡から風呂に入っていない。東京についたらまず銭湯に行くことになった。
沼津を出る時は早朝だったが横浜くらいで通勤ラッシュと完全に重なった。15両の電車が人だらけになったところで今日は平日ということを知った。高校のバス通学だけでも苦痛だったのに将来満員電車通勤をしなければならないと思うと気が滅入る。
東京駅に着いた。そういえば東京駅で改札から出たことない。東京駅って何があるんだろう。すぐに京浜東北に乗り換えてまず御徒町で降りた。ごちゃごちゃしたところだった。案外簡単に銭湯が見つかった。ニクイね、御徒町
燕湯という名前の銭湯だった。東京ってヤクルトファンどのくらい居るんだろう。関西でのオリックスみたいな立ち位置だったら余計に応援したくなる。
ミスドで朝飯を食べとにかく歩いた。東大に行ったり、神田明神に参ったり、秋葉原を徘徊したりした。平日というのに人が多すぎて高校の名前入りジャージで来たのを後悔した。
歩いていて感じたのが東京は以外と坂が多い街ということだ。西宮とか神戸の川を渡る橋でうだうだ言っていては暮らせないね。
昼飯につけ麺を食べ、脱チェーン店を達成した。この時はもう何をするのにも疲れすぎていた。昼2時には電車に乗って沼津に戻っていた。それはそうと、都会って普通電車にグリーン車がついていた。快適だった。
沼津に着くと豊橋行きの電車まで2時間ほど時間があったので沼津港の展望台みたいな所に行った。夕日が綺麗だったが富士山には雲がかかっていて、これはもう一度来いということだと思った。
駅に向かう大通りでなんだか切なくなった。
この時は信州のゴールでもう一度行くことなんて忘れていた。
二日いた場所大好き理論がここでも証明されてしまった。
疲れすぎて頭はちゃんと壊れていたので10個1000円のミスドを夕食にして豊橋行きの電車に乗った。
豊橋から桑名までも輪行難易度は高めだったが名古屋桑名間はJRがだいたい2両なので本当に輪行しない方がいい。
桑名駅の駐輪場に自転車を停めてバスに乗った。
ひかけが5時間に及ぶ輪行の疲労により完全に省エネモードに入ってしまい桑名駅から家までのバスでもほとんど話さなかった。マジ基地スケジュールだったため仕方ないが北澤家についてからも、妹が心配するほどの無口っぷりだった。おかげで我が家でのひかけの印象は少食のしゃべらんやつみたいな感じになっている。かわいそうに
何はともあれちゃんと帰れてよかった。次の日西宮まで戻りちゃんと地理学のガイダンスにも出席できた。あんまいかんでもいい感じのやつだったけど。
次は北海道・東北夏プレ編です。読んでくれると嬉しいです。
19/04/01
東海道・沼津合宿3日目
朝起きると自分たちが変なところで寝ていたことに気づき、唖然とした。前日までの疲れで世間体を気にすることはなくなっていた。その時は静岡県立大学が今日入学式だったらやばいなーとか言っていたが、冷静に考えると違法性の高いテン場だったと思う。
なんとまさか周辺住民の方がコーンスープをくれた。しかも僕たちが寝ていたので枕元にポットが置いてあった。自分が将来暮らす所はこういったテン場になりそうな公園の近くに住もうと決意した。
朝飯をマクドで済まし、沼津までのラストスパート70キロを走った。どうでもいい話だがなぜか北澤家はマックではなくマクド派だ。
ほとんど無言で東へ東へ進んだ。由比の古い街並を通り抜け、途中のコンビニで新元号のラジオ放送を聞いた。一発ではなんといっているか分からなかったが、コンビニにいたおっさんがれいわ、といっていたような覚えがある。
このころの僕は豊橋の快活でら!さ!の最終話を見たてのほやほやオタクだったので沼津市に入った瞬間、思わずただいまと言いそうになった。
沼津市街に入るとまずファミマに行った。焼き鳥を買うと来店記念の写真を撮ってくれる店で、twitter界隈では様々な意味で有名だった。律儀に焼き鳥以外のものも買い、写真をツイートしてもらった。関学の名前を入れていたのが失敗だったのだが関学の謎のオタクに囲われそうになった。息してっかー?
今はファミマの本部の通告でこのサービスはなくなってしまった。twitterアカウントも削除され、店長も左遷されたようである。儚い。
適当にゆっくりしてまだ日の入りまで時間があったので内浦まで行こうやとなった。中心地からは15キロ程の一本道だった。過去最狭のトンネルがあり、僕とひかけはオルトリーブに聖痕を残した。
お土産屋のおばちゃんに千本浜で寝ると言ったら、あそこだけはやめとけとのことだったのでカラオケで寝ることになった。映画を見てそのテンションのままカラオケに入り、暴れた。酒なしで暴れた中でもなかなかひどいものだった。
今こうして書いてても信じられないが、翌日東京に行き、夜には桑名に戻っている。
19/03/31
東海道・沼津合宿二日目
豊橋の快活でポテトを胃袋に詰め込み、アンキパンよろしく食パンを頬張り満足感に満ちて退店した。
僕たちはいっつもお試しホームレスだとか一日浮浪者体験とか言っているがこのご時世快活生活民はどうしているのだろうか。西成でホテルの住民票登録がなんだかんだと言ってはいるが実態はどうなのだろうか。ゼミの研究テーマに良さそうやん。
気を取り直して
この日は愛知県を抜けて静岡県に入ろうやという日だった。静岡県は磐田に親戚がいるがそれ以外の場所はあまり縁が無い場所だ。
潮見坂という県境の有名な坂を越えて静岡県に入った。
この辺りの強風で僕のTREKのスタンドがおそらく曲がった。スタンドが機能しなくなった僕のチャリは以前よりも傷が増えた。ごめん葛城ミサト号。
浜松でさわやかを食べた。さわやかとは静岡県内にのみ展開しているステーキレストランで、ココスの上位互換みたいなものだ。ドラえもんのようなキャラクターに頼らず、味で勝負している。美味しいご飯は黙って食べてしまうというセオリー通り僕らは黙食し、写真も撮らなかった。
その後、落車した。一年以上経った今も足に傷が残っている程の大落車だった。両足から流血したまま東へ進むのは危険だったので袋井から焼津まで輪行を決意した。静岡地区のJRは新幹線以外全て普通電車だったのでそこまで遠くないのにえらい時間がかかった。一番前と一番後ろに別れて輪行した。僕は安倍礼司傑作選を聞いて一人で笑っていた。
焼津からその日の目的地静岡市までは景色の綺麗な道があるということだったので走った。1号線からは外れるルートの大崩海岸という所であった。何度も崖崩れが起きているという、あまりにも安直な名前だと思ったがトンネルができて安全に通行できるようになったようだ。
トンネルを抜けると
やっと富士山が見えた。この近くの安倍川を越えるといよいよ名古屋に戻るより東京の方が近くなってくる。足からは出血が止まらなかったが、本当に来て良かったと思った。
この後はアピタに行ってミスドを食べたり、丸源ラーメンで長いこと待ったり、静岡県立大をテン場としたりするなどした。
この夜は寒かった。
夜何を話したかは全く覚えていないが、明日沼津まで行ける高揚感と共に眠った。
19/03/30
ブログの執筆体力が戻ってきた。
というか文学部のオンライン授業が始まるまですることがない。野球開幕してない。榊原と一緒に受けるアラビア語の初回に二人とも乗り遅れ授業内容が分からない。新しく(ついに)始めたスーパーのバイトで覚えることが多くて頭の容量が足りない。新歓できない。自転車漕ぎ足りない。
色々ないない尽くしの毎日だが、現状に不満ばかりこぼしていても仕方がないので今日からは去年の春休みにしたひかけとの東海道・沼津合宿について書いていこうと思う。
この合宿は出発の一週間前くらいに、思いつきで東海道合宿せん?的なノリで決定したような気がする。
4/3に大学で地理学専修の説明会に出席必須だったので詰め込みスケジュールだった。ひかけと僕は無理をしがちとかゆとりが無いとよく感じるが計画段階でこれなのでそりゃゆとりなどあらない。
僕は出発の日まで実家にいたので、神戸からくるひかけと合流してそこから東に向かおうやとなった。
桑名のイオンバイクで僕は自転車を修理していたのでバスでイオンバイクまで行きそこにサイドバックを付け銀マットをパッキングして出発した。
ああだこうだ言っているうちに名古屋に着き、熱田のイオンのスガキヤでラーメンを食べた。イオンが市内にこんなに沢山ある200万都市は名古屋だけだと思う。栄や矢場町に行かなくてもイオンでなんとかなりがち。僕が知っている限りでも名古屋市内にイオンモールとかイオンタウンが10個はある。
スガキヤの話だが特製ラーメンはちょっと具が増えただけのくせに高いので普通ラーメンにバカみたいにコショウをかけまくるのが通常スタイルだがこの日はどうしたかは忘れた。フードコートに人がめっちゃいたことは覚えている。
熱田を後にして1号線を南下して言った。正直名古屋を出てしまうとほとんど知らない場所なので新鮮だった。それにしても九州合宿の後にこの辺を走ると本当に運転マナーの悪さが目立つ。みなさんも8つ愛知のナンバーと浜松、岐阜、三重ナンバーに出会った際には知床の熊への対応のように、とにかく冷静に相手を怒らせることの無いようお気をつけて。
順調に(というかこの日はどこまで進むか特に計画はなかった、計画立てろや)進み、三河に入った。三河の人間はいまだに三英傑がどうだとか言っている印象があったが岡崎がかなり都会で驚いた。岡崎のイオンなら大昔に行ったことがあるがこの街については地図上の知識しかなかった。ひかけが中三の時に通った中学校に行きたいとの事だったので行った。引越しを繰り返すのは僕ならやってけないように思える。子供時代には酷やんね。
全然写真がないので思い出せない。結局この日は豊橋で暗くなったのでストップした。途中で小雨が降ったり、コンビニで休んだ時に二人とも現金が一万円くらいしかなかったなど小話はある。
がしかしなんせ桑名豊橋間はまあまあな距離があるわけで、おれら頑張ったじゃん的空気が流れていた。この空気になると行くゴールデンルート、つまりすき家→快活を初日でログインすることとなったというわけだ。