19/02/22 最終日
7日目、九州プレ最終日
朝土俵の上で目を覚ますと雨が降っていた。実は集合場所の宮崎市まではもう1日でいけるくらいの所まで来ていた。朝起きてすぐに宮崎市境をまたぐことが出来た。田舎すぎて落車しそうになった。それもそのはず宮崎市は平成の大合併でかなり広大化していた。
話は逸れてしまうがが飛騨高山、安房峠、北アルプスでおなじみの岐阜県高山市は平成の大合併で超巨大化したそうだ。香川県、大阪府よりも面積が広いとのことである。
この街は従来の信州合宿だと避けられない場所である。前から言っている話ではあるが今回の信州は新潟からスタートに変更することもルートとしては考えている(合宿の期間と距離は同程度で獲得標高は若干減る予定)。現役の皆さんの意見をお寄せ頂きたい。
話を戻すと
この日はその吸収された旧佐土原町で留まろうということになった。ホームセンターにミスドが入っていたので朝ごはんはそこで食べた。まろが汁そばを頼むとすごく嫌な顔をされた。接客業ってこんな些細なことも記憶されてしまうので気の毒だ。
ミスドでかなり長い時間を過ごした後、近くの駅から電車に乗って宮崎の街に出ようやとなった。雨が降る中電車に乗って宮崎駅に着いた。田舎すぎる。陸の孤島。でもこんな機会でも無ければ宮崎なんてこないのよおと自分に言い聞かせた。イオンモールに行こうとなったのですぐ行けると思ったら駅からバスに乗ることに。運賃は安くなかったが地方経済に貢献したと思えば安いもんだった。
今思うとあのイオンは広島府中のイオンに似ていた。
福井県以外日本全国にあるイオンはどうしても合宿と切り離せないものだと思っているのは僕だけだろうか。
九州ならここ、北海道なら旭川駅前、小樽、東北なら天童、四国なら今治というようにたかがイオンでも思い出に残る。ただのイオンなのに合宿で行ったというだけで僕にとっては付加価値が生まれるような気がする。とはいえこのイオンでした買い物は後日判明するママチャリのチューブだけだったので、GWのビワイチの時にやっと思い出すことになるのだが。
イオンを後にし僕らは佐土原に戻る電車に乗った。混み合う車内に宮崎JKが乗ってきた。久しぶりにまともな人間を見た。もう一週間近くおそと時間を続けていたので感覚がおかしくなっている恐れもある。なんの話やこれは。
佐土原に着き地元民のような顔をして下車した。この時点で僕らには家も食もなかった。近所の驚安スーパー(ドンキの比ではない、きょうやすで変換できないこの二字熟語なんなんだ)で食購をし適当に探したテン場で飯を作った。適当に探しすぎて町の施設の駐輪場をテン場としてしまった。
この日は九州プレ最終日であり僕らだけでめちゃくちゃできる最後の日だった。色々なものを焼いたり、立体音響で音楽を流しているうちに夜が遅くなってしまった。本合宿はもちろん始まって欲しかったがこのまま自由していたい気持ちも少しばかりあった。50期はコンビ、ユニットを組むのが個人的に難しいと勝手に思っているがそんな関係性はこの九州プレで築かれたように感じる。
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プレ合宿日記第一弾はこれで終わりです。初めてのブログで肝心の箇所が抜けているなどご意見色々あると思いますがそこは日頃のコミニュケーションで補うってことで。本合宿の話はよくするけどプレの話はやはり特定の人としかしないし、まだまだ知られていないことだらけだと思い書き始めました。この文を書く際、自らの記憶の薄れ具合に残念な気持ちになってしまうと共に危機感を覚えました。今は振り返る必要はないという考え方もあると思います。ですが、忘れてしまっては元も子もないので形にしてみました。この流れにのって何人かがブログを開始、再開してくれたことは後になってサイクを考える際に大変大きな役割を果たすことと思います。ありがとう。またこの日記を始めるに当たって重政さんの記事を参考にさせて頂いた箇所が多々あります。ありがとうございました。
似たようなことの繰り返しにはなりますが、写真は一枚でも多く撮った方がいいと思います。撮るべきです。僕は7日目の写真が朝と夜しかなくてこの日の行程を詳しく思い出すのに苦戦しました。また、本合宿の後半になると写真を撮る枚数が減りがちですがこれも信州合宿の際に打ち崩したいジンクスの一つです。
新歓も全く行えず、先の見えない日々ですが文章を書くことによって過去の合宿を振り返るチャンスなのではないかと最近は考えるようにしています。次誰々に会った時にこのことを聞こうとか話そうとか思い出せるので共通の話題に乏しいサイク面々には重ねてお勧めします。
この期間はSNSで新しいサークルを探す新一回生も多いと思うので明日からはプレ日記毎日更新をやめて、どうにか方法がないか考えます。アイデアを下さい。
最後にこの締まりのない文章を毎日のように追いかけてくれた方、ありがとうございました。
また気が向いたら東北プレや四国プレについて書こうと思います。
20/04/15
19/02/21
6日目
この日はは今までにないくらい早い時間に起きた。この時は眠すぎてそんなことを考える余裕は無かったが、今考えるとこんなに早く起きるのは小学校の時にその辺の山にクワガタを探しに行く時以来である。陽だまりの丘は当時街開きから10年も経っていなかったので住宅開発がまだ手付かずの森、山が結構残っておりよく取りに行ったものだ。新聞紙にミヤマクワガタがくっついていた事もある。
この文を書いてて懐かしいなあとなり更に話が脱線しそうになった。だがこの時はまだ寒さの残る2月下旬だったし、僕らは見ず知らずの大分県にいた。全然喜びのない朝だった。寒いし。
iPhoneの純正で一番腹が立つアラーム音でおなじみ、サミットで目覚め、真っ暗で何がなんだか分からず上岡駅までの3キロくらいの道を走った。ライトの充電が切れたら電柱に突っ込みそうなくらい真っ暗な道。電柱はあったのに電灯の少ない道だった。
前回も触れたがこの日の輪行は6時発の電車を逃したら詰みというタイトスケジュールだった。無事乗れたわけだがしんやがクイックリリースを忘れていた。
やれやれ、と僕は思った。
延岡に到着しマクドに行き朝飯を食べた。朝マックのクーポン番号三百なんたら番350円ブームはここから始まった。
国道10号はまずまずの走りやすい道だったが、高速よろしくトラックがビュンビュン走って行く。宮崎県は東九州道の整備を急いで頂きたい。
僕らは道の駅で刺身を奪いあったり、本場のチキン南蛮を食べたりした。今日も途中でしんやが消えた事には消えたがパンクも落車もなかった、多分。僕の味覚では本場のチキン南蛮よりもいつも頂いているぬう坊の方が美味しかった。
なんやかんやでなぜかすき家に行った。僕らは朝からの疲労で腹ペコだったのは確かだがおやつにすき家に行き、しかもコンビニにも行った。一回生特有の金銭的余裕を存分に享受していた。
この日の風呂で僕以外の三人に中学のこと、地区のことなど色々教えてくれた。内輪揉めに参加しないと終わると思った僕は、この時の話の登場人物に飲みの理由をつけてほとんど会ってしまった。まろとしんやの交遊関係をほとんど手の内におさめた。
風呂の後になんとジョイフルに行った。漕いだ日は外食に限る。ここで何を話したかはまるっきり忘れてしまった。多分まろにネットフリックスに入れと強く言っていたと思う。
テン場は謎の屋根がある場所だった。ラッキーだ。僕らは屋根を目一杯使って寝た。
翌日は雨予報だったからだ。
朝起きるとそこは土俵だった。村の祭りの日じゃなくて本当に良かった。
九州プレもそろそろ終わりですね。
20/04/14
19/02/20
五日目
この日の始まりは何がなんだか分からず船を降りた時から始まった。僕らが前日の深夜に乗った八幡浜から別府のフェリーは思ったより早く対岸に着き、そして思ったより早く降りなければならなかった。折り返し便がすぐ出港するので仕方ないが勘弁してくれよおとなった。
それにしても八幡浜は地図で見れば見るほど陸の孤島すぎる。毎度の事だが、ド田舎に行くとそこで中高生をするならここがたまり場で多分原付かバスで通うんやろうなあと考える事がある。
今までに見た、印象に残っている田舎は猿払村、中頓別町とどちらも北海道だがぜひ行って見てほしい。行くのがめちゃめちゃ大変だけど不思議な気持ちになれるのでオススメ。
さっきまで北海道の地図を穴が開くくらい見ていたら北海道の話をしたくなってしまった。
話を戻す。船を降りると大分県の別府に着いていた。高二の修学旅行で長崎と福岡には一応行ったが僕の友達が気づいたら救急車でどこかへ行ってしまったことぐらいしか記憶がない。初九州という事をインスタのストーリーに載せたらちょっとツッコミがきた様な気がする。
テンションが上がる間も無く砂浜で就寝。朝5時に着き2時間半ほど訳も分からず昏睡していた。
しんやとまろがこの日の朝に船で大分市に着くという事で合流しようとしていたが僕たちが爆睡していたため10キロくらい戻る方向に来てくれてしかも起こしてくれた。おかげで朝日とともにドラマチックなスタートになった。
そういえば昨日の晩に風呂に入ってなかったので別府で風呂に入ろうやということになった。駅近の安い風呂屋があるということなので着いて行ったら、浴槽と超簡易的なシャワーしかないタイプの風呂で100円。今まで野沢温泉の外湯以外にこんなスタイルの風呂は経験した事がなかったので、金取るなやとひとりごちていた。湯温もやっぱり激熱。余計に汗をかいた。
風呂を出た後別府の大学にいるこいつらの中学の同級生が来るというので近くのゆめタウンのミスドで彼を待った。彼は花陽推しだと言った。お前もか。
彼と大分駅まで一緒に行ったのだが、がぬーのいいロードに乗っていたので僕たちのクロス集団は着いて行くのに必死だった。
そこからはどんどん田舎になっていった覚えがある。何しろ睡眠時間が足りておらず写真もあんまり撮っていない。天一に行ったり、ハリボテの大分城を見たり、しんやが突然消えてパンクしていたりした。
なぜかパッキングの量も多かったしんやのパンク修理も終わり、この日のテン場の佐伯市の弥生まで行った。
今となっては信じられないがプレでしかも日暮れ後に着いたにも関わらず自炊をした。みんなで皿を洗いよく分からない場所に干した。やけに地面がゴツゴツとしたテン場だった気がする。
翌日は朝一本しかない電車で輪行するという事になった。朝一本しかないは流石に話盛っとるなどとほざいていたら
重岡は延岡より手前で僕たちが行かなければならないのは延岡だったので本当に1日に一本だった。
たまげたわ。
寝た。翌日は5時に起きだったのに疲れすぎて全然眠れず満点の星空を見ていた。星座なんも知らんけど。
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昨日はふざけたブログを書いた(剽窃?)があまりにも面白くなかったので消した。誰かユーモアを分けてくれ、
19/02/19
4日目
前日ひかけについて行った真っ暗なテン場の東屋で僕は雨の音で目を覚ました。
野宿経験者なら分かってもらえると思うが雨の日の朝というのは、たとえ東屋の中に寝床を確保できていたとしても全てが水分を含むものになりどうしても気だるさが先行してしまう。意地でも次の日の目的地に着かなければ全体の行程にも影響が出るし、風呂がなかったりする。僕はその様なことを予めひかけに聞いていたので今日は雨の中結構漕ぐのかあと一人戦意喪失をしていた。
そんな心配も杞憂に終わり、今となっては当たり前になりつつある「雨の日は輪行」理論を適用した。
本合宿でバンバン輪行するのは個人的には気が引けるが、今日はまだプレ合宿なのだ。サイクのプレ合宿というのは快活で24をキメても良いし、利尻富士に登っても良いし、ラウンドワンでオールしても良いし、テン場で昼まで遊んでいて良い。要するに閉鎖的な日々を忘れて自由に遊べということなのだ。駆け出しのyoutuberみたいにね。
そんなこんなでいろちのレイン二人で昨日入ったミスドへ再び向かった。この時点で決まっていたのはこの日の夜の電車で八幡浜というところへ行き、そこから深夜に出航のフェリーで大分の別府に向かうということだけだった。とにもかくにもここで夜の6時か7時まで時間を潰す必要があった。作戦会議をしようやということで松山市の地図を広げるも、夏目漱石と道後温泉のダブルパンチ。仕方がないので松山にいることを忘れ、普通にただの日曜日のように過ごすことになった。
普通に過ごすと言ったら電車に乗り(二人とも免許など持っていない)往復で600円いくかいかないくらいの駅まで行き、チェーン店で飯を済ませてカラオケに行くといった具合だ。
そしてそのセオリー通り僕たちは路面電車に乗り、松屋で昼飯を食べ、本当にカラオケに行った。いつもと違うのは雨なのに男ふたりで観覧車に乗ったり、森温泉の代わりに道後温泉にもう一度入ったことぐらいだ。
思えばここまでの三日間狂った様に自転車ばかり漕いでいた。そういう意味ではこの日は文面では全く楽しそうではないが(ほんとに大したことをしていない)それなりに松山を楽しんだしゆっくりできたと思う。
夕方に輪行を完成させ無事に八幡浜へと向かう電車に乗った。多分電気が動力でないからだが車内はめちゃくちゃでかいモーター音?の様なものが響いておりこれが田舎の電車なのかと知った。まともに会話もできないのでひかけが携帯でアニメを見せてくれた。この時の僕はプレの疲れが最高潮に溜まっていたのでその見せてくれたスクールアイドルアニメにすっかり癒しを求めにいってしまった。諸悪の根源はここから始まったのである。
八幡浜に着いたのは確か11時を過ぎた頃であり僕たちはめちゃくちゃに腹が減っていた。橋を超えて向こう側に改札があるタイプでなくて命拾いした記憶がある。
当然こんな超田舎でやっている店などないだろうと思っていたら何やらジョイフルという店があるらしい。その時の僕はジョイフルとポイフルの違いも分からないくらいのシティボーイであった。胃袋を満たしてくれるならポイフルでもじょいふるでもなんでも良いという思いでひかけの後ろを着いていった。
今となっては合宿につきものとなったジョイフルに行ったのはこれが初めてで、それはつまりあの微妙に高くも安くもない価格帯にうまいことやられるのも初めてだったということだ。謎にたくさん頼んだ気がする。
これまで僕の中のチェーン店は中学の校区の中、高校の周りにあった店、四日市駅周辺とかなり限られていた。ジョイフルが東北にも九州にも(当たり前)なんなら西宮にもあることが判明し、軽くカルチャーショックを受けた。ちょっと種類が違う話だが僕と榊原は関西にいる限りこれからも数々の文化の違いを目の当たりにするのだと思う。
この後はローソンでコッヘルを受け取り、頭が完全にバグっている状態で別府行きの船に乗った。大部屋にいたのはトラックの運ちゃんばかりで若者の姿は僕たちモンベルのレイン二人だけだった。
どこまでが今日で、どこからが明日か分からないまま硬い床に寝袋を引いて寝た。
四国合宿では断念せざるを得なかった松山、機会があれば行きたいなぁ
19/02/18
3日目
この日はサンライズ糸山を後にし松山へという日であった。
まず何故か理由は忘れたが今治の駅前(駅ナカ?)にあるGIANTショップに行った。今でこそ橿原のおじさんから譲り受けたCONTEND1でブイブイいわせているがこの時の僕はTREKお兄さんでありGIANTショップは完全アウェーであった。
ひかけが何やら修理をしてもらおうと入店すると可憐な女の店員さんが応対をしてくれた。都会にしかないと思ってGIANTに就職したのなら気の毒にと思った。
神戸のGIANTショップはいつ行っても居るエグザイルもどき、丁寧な人(伊藤さん)、あまりやる気のない高専か商船大のバイト風大学生、Livならお任せレジ打ちお姉さんで構成されている男勝りな職場である。一度エグザイルに見せてやりたい。
昼飯を食べにイオンモールへ行き(めっちゃ山の中に突然イオンがある。三田のイオンみたいに。行ったことないけど。)
僕らはうどんを食べながら単位発表を見た。可もなく不可もなくみたいな中途半端な成績であまり面白くなかった。twitterで見たGPA2点代のやつは3、4点代に比べると勉強ができず、1点代のやつと比べると特に大学生活を楽しめている訳でもない、一番しょーもないやつという心無い一言で傷ついた記憶がある。
昼飯の後は国道196号をひたすらに松山へ向かった。
ひかけが懐古厨な所があるから僕がバランスを取るべきなのは分かっているがこの道だけはどうしてもお勧めしたい。海は綺麗で全体的に下り基調かつ季節的に風向きが北風の回想路だった。この道を通った記念に途中の道の駅でR196ステッカーを買った。今となっては昔の学習机の様に所狭しとシールを貼りたくられている僕の自転車だがこのR196ステッカーが初ステッカーだった様な気がする。
そうこうしているうちに松山にかなりあっさり着いた。
(よく見るとしまなみ海道でR317のステッカー買ってた。)
JRの松山駅はえらく街外れに位置しているいかにも地方都市の駅で寂れている様に見えた。
そもそも松山はサイクの過去の文集でいじられていた様にサイク的三大がっかり都市と聞いていたので街ゆく人の数でも数えてやろうかと思ってさえいた。がしかしJRの駅から少し離れるだけで路面電車は走ってるわ、私鉄の駅は大きいわ、空港がすぐそこだったりでうちの津市は何をやっとんだ、ということになった。津市に無い物が全てあった。
ほぼ義務的にミスドを食べ、(このミスドは変な作りだった)そのままチャリで道後温泉へと向かった。平日というのに道後温泉はかなり混んでおり、関西のナンバーも多く見受けられた。
そういえば商店街をふらついたはずなのに二人とも何もお土産を買わなかった。
写真撮影をその辺の観光客に頼むのに手こずり、何故か最終的にはお願いする難易度が最も高いはずのイケイケな女子に写真を撮ってもらった。彼女たちは今後一生、ここまで汚い男たちの汚い携帯に触れることはないだろう。
この頃の僕は(今もそうだが)かなりひかけに頼りきりだったため、テン場までトップをしてもらい、米を炊いてもらい、二人で割り勘をして買ったすき家の牛皿をのせて食べた。あまり節約した感はないがアンニュイな日々に食べるすき家より何倍も美味しかった。
タオルなどを東屋でうまく干し、寝た。
翌朝起きて分かったがテン場の石手川公園はそれなりの数の松山市民の散歩コースだった。雨降ってたのにね。
19/02/17
二日目、西御所遊園地で目を覚ますと(トラックの音であまり眠れず)国道2号線がすぐ近くを走っていることを知る。
半分以上新幹線で来たくせに道は繋がっているんだなあとかありきたりな感想を抱きつつ、ミスドで朝飯を食べた。この時は節約生活により胃が極めて小さくなっていたのでドーナツ二つとブレンドコーヒーだけで十分だった。
朝飯を終えてしまなみ海道への入り口へと向かった。最初は船で渡らないといけないということもこの日まで知らなかった。今考えると下調べが足りなさすぎる。この時僕はまだコッヘルすら持っていなかった。
朝早くだったし、尾道駅は改修工事真っ只中で尾道は少し寂しげな街に見えた。
渡船乗り場に着きチャリを並べて写真を撮るも運休日だったことに気づく。
なんとも踏んだり蹴ったりな二人
ちなみに2020四国プレではこの福本渡船に乗ることができた。どっかの大学のサイクにあった。彼らはあまり仲が良さそうではなかった。
気を取り直して別のフェリーに乗り向島に着く。コンビニもドラッグストアコスモスもあるし島の情緒的なのを期待していた僕は少しがっかりした。
その後小雨に降られながらも橋を渡り、島をいくつか越え、アクティに衝突したりしながらも伯方島までやって来た。
今ままで「はかた」の塩は「博多」の塩だと思っていたので今合宿のゴールには塩でも買って帰るかと思っていた僕にはまあまあな衝撃だった。
この頃は合宿に来てまでチェーン店はだせえ、的風潮が自分の中にあったので(今では考えられない)ちょっと遠回りをして橋とは反対側の貝ラーメン?の店みたいなところに行った。疲れていてなぜか自分でとった写真がないがラーメン店だったのにお茶漬けみたいなものを頼んだ。明らかに狂っている。
このことはたんろんの横にある貝ラーメンの店の横を通るたびに思い出す。
貝ラーメンの店で思い出したが西宮が誇る「171ラーメンストリート」に和歌山ラーメンの店ができていた。今度行ってみようと思う。
たんろんはいい加減「ラーメン」の屋号を外すべきだと思う。これ以上犠牲者を出さないために。
時を戻そう の画像検索する時に間違えてみちょぱ と検索してしまった。ぺこぱとみちょぱ
変なの
話を戻すと
この日は無事にしまなみ海道を渡りきり今治市に入った。サンライズ糸山というサイクリストに優しい宿泊施設に泊まり、食堂のメニューの価格帯に驚いたりした。
この頃ってひかけとなんの話してたんやろ。共通の趣味もこれと言ってなかったのにね。
なぜかベッドが4つもある部屋で酒も飲まず、ただ寝た。昨日に比べてかなり快眠できた。
19/02/16
起きる。
初めての合宿、初めての長期間自転車旅であったにも関わらず、前日の遅くまで『パン屋再襲撃』を読んでいたためあっけなく寝坊。
慌てて坂を駆け下りるも初めてのパッキングが、それこそポリタンクがまだ入る余地のあるくらいのガバガバさで銀マットを落としてしまった。確か10分遅れで僕が本山に着くとひかけはかなりキレていてほとんど何も言わずに早朝の山幹をぶっ飛ばしてく。この時の僕はめちゃくちゃ頭が弱かったので彼が何時に新幹線を取ってくれたか忘れていたし、なんなら自由席だと思っていた。
そこからは、まあ、お馴染みのというか例の「新神戸駅財布置き去り事件」があり二人は別々の新幹線で移動することとなったわけだ。が、こんな事件でもなければ僕は遅刻の罪悪感に苛まれてプレを(少なくとも二人の間は)楽しむことができなかっただろうし、いい意味で似た者同士だと確認できた気がする、ありがとう。
岡山に着くと輪行をくずしている際におじさんに話しかけられた。今となっては慣れた地元の村人とのふれあいだがこの時の僕は本気で職質されたと思いやっぱり輪行は犯罪なんじゃないかと思った。邪魔さでいったら渋谷メルトダウンとあまり変わらないのでないかと今でも思う。
無事に一本遅い新幹線でやってきたひかけと合流することができた。彼が鉄ちゃんでなければこのプレはこの時点で呆気なく終了してたかと思うと世の鉄オタに感謝したくなる。
岡山市は大都会岡山と言われるようにそれなりに都会だった。個人的には静岡市にどこか近い雰囲気を感じた。
この日は福山まで行って城の下で寝てみようやということだったのでゆっくりだったのは昼までで倉敷のアリオで昼食をすませた後はひたすらに漕いだ。ひかけは高梁川の堤防のへりで消え、僕は広島県境の激ショボの峠(坂?)で置いていかれたりする。
それでも持ち前の無計画さにより4時過ぎに福山駅に着いてしまう。成り行きで尾道まで行くことになった。
尾道は一回生の時の夏に訪れたある意味では思い出深い場所であったのでなんともいえない感慨深さがあった。今日初めて出発して良かったと思った。
疲労で正直あまり記憶がないけれどこの日のテン場が西御所遊園地というなんともヘンテコな名前だった。パトカーに見つからないか本気で心配し、1夏あいつらは北海道でこんな世捨て人みたいなことをしていたことに素直に感心した。翌日のしまなみ海道に期待を抱きながら寝た。疲れているはずなのに心配事が次から次に頭に浮かんで眠れなかった。